自民大勝、民主惨敗。
 私自身は自民は240〜270程度、民主が150〜160程度かと思っていたのだが、流石に昨日8時の出口調査結果で各局自民300議席超えとの結果を見てぶっ飛んでしまった。


 今回の選挙は3つの点で戦後政治史の転換期となるものだったと思う。


 まず1点目として、これまで日本の選挙で最大の武器であった地盤、看板、鞄の3バンがいよいよ通用しなくなり、政党政治に相応しい政党同士の戦いによる選挙が実現し始めたということだ。前回、前々回も自民の大物議員が落選したことはあったが、まだ限定的なものだった。だが、今回は自民党執行部主導の公募を中心とした新人が落下傘候補として民主の前職や造反前職を次々と落選に追い込んでいった。
 民主の幹部クラスでも藤井代表代行が落選、川端幹事長が比例で復活、菅前代表や横路元副代表などの大物も接戦に持ち込まれるなどの状況、造反組もかつての総裁選で小泉首相と争った藤井元運輸省や自見元郵政相が落選、鉄板と言われた綿貫元自民幹事長も接戦に持ち込まれた。北海道、岩手と並ぶ民主の金城湯池だった愛知も自民と民主の議席数が逆転した。
 確かに新人とはいえ、自民党公認ということで最低限の鞄は党が出すだろう。だが地盤・看板では前職候補とは一部有名人候補を除けば比較にならない。しかし、政党本位の選挙であれば投票基準はその候補が所属している政党であり、その政党の政策であり、そしてその政党のトップである。落選候補の1人が語ったことであったが、彼らはまさに小泉首相の分身として選挙区で戦っていたのである。
 今回自民党はいわゆる抵抗勢力と呼ばれる議員を党から放逐し、「純化」といわれるようにその政策を収斂させた。一方で民主党は相変わらず右も左も様々で寄り合い所帯の様相を払拭できていなかった。そしてその差は、政策実行力の歴然たる差として有権者に映ったとも言えるだろう。


 2点目として、選挙戦の手法として様々なテクニックを使い有権者にアピールを行っていくパフォーマンス型選挙の定着である。これまでの選挙は自民党は全特や医師会などといった職域団体、野党は労組と組織だった支持基盤の上で戦ってきた。しかし自民党が前述したように政党・政策主体の政党として総選挙へ打って出たことにより無党派層の獲得に大きく舵を切ることになった。
 造反組の非公認、そして対抗馬擁立などといった劇的な演出を行って有権者の関心を引き寄せ、郵政民営化を旗印に一点突破のレベルまで争点を集約した上で、小泉首相の時にはワンフレーズポリティクスとも呼ばれる明快、簡潔で勢いのある演説で有権者の心を一気に掴んだといえよう。
 芸能ニュースに彩られていたはずのワイドショーは選挙ニュース一色になり、タブロイド紙は政局を面白おかしく書き立てる。そしてテレビ局や一般紙も「刺客」や「踏み絵」といった刺激的な言葉を散りばめて小泉劇場の演出に一役買ってしまう結果となった。
 総花的なマニフェストを掲げ、よく言えば真面目に、悪く言えば地味に選挙を戦おうとした民主党は、選挙の戦い方の時点でも間違っていたと言わざるを得ないだろう。。「もっと大事なことがある」と言っていた民主党は、何が一番大事なのかという部分で小泉首相郵政民営化一辺倒を崩せなければ有権者の心を掴むことは無理だったと思う。どれだけ政策の中身がよかろうと、有権者の心に届けることができなければ米粒一つほどの意味も無いのだ。ましてこれまで反自民票を吸収し、風頼みで他の野党の議席を奪う形で焼け太りした民主党では言わずもがなである。


 最後に、ようやく55年体制下の保革対立軸が転換されたということがある。55年体制下の自民・社会の保革対立軸は、親米か反米か、親共か反共かという冷戦下での世界情勢と日本の地政学的事情を反映したものであった。だが、政治における本来あるべき対立軸というのは保革ではなく保守かリベラルかである。
 世界的な政党政治の変遷を振り返ると、80年代から90年代中盤までは新保守主義(あるいは新自由主義)の潮流の中、保守優位の政治情勢であった。アメリカではレーガン・ブッシュ(共和党)、イギリスではサッチャー・メージャー(保守党)、ドイツのコール(キリスト教民主同盟)、そして新保守主義としては限定的ながら日本の中曽根らの政権が挙げられる。しかしベルリンの壁崩壊からソヴィエト連邦崩壊に至る冷戦終結を経て、各国の左派政党は新しい社会民主主義政党として再出発し、新保守主義の弊害が出てきたこともあって次々と政権を獲得していった。イギリスのブレア(労働党)、ドイツのシュレーダードイツ社会民主党)、そして社会民主主義政党ではないがリベラル政党のクリントン民主党)の各政権である。
 日本においても冷戦下での保革対立が崩れ始め、自民党単独政権が崩壊し細川連立政権が発足した。だが、この政権交代はあくまで自民党の自壊によるものに過ぎず、ポスト冷戦の対立軸を示してのものではなかった。結果非自民連立政権は内部での政策対立が原因で早期に崩壊、その後自民党を中心としつつも政策の軸が見出せない状況下での政権運営が続いてきた。
 しかし、今回の総選挙で自民党小泉首相の下、ポスト冷戦期の保守政党へ一気に脱皮を果たすことに成功した。自民党の政策を縛ってきた支持基盤を自ら切り崩し、小さな政府、規制緩和による市場原理の拡大など、郵政民営化という旗印に込められたものはまさに現代的な保守政党としての姿を見ることができる。なお、各国ではアメリカでクリントン後のブッシュ政権が確立されたことや目下選挙戦中のドイツでシュレーダーが苦戦していること、イギリスのブレアが支持率低迷に喘いでいることなど現在左派から右派への揺り戻しが起こりつつある。


 以上で述べた3点は、自民党が成功したことであり、そのまま民主党が失敗したことでもある。民主党には旧社会党、旧民社党、旧自民経世会など主張を異にした雑多な派閥が形成され、同時に世代対立も生じさせ執行部の運営がそうした旧態然とした政治力学に支配されている。また自身の政策に自信過剰になり、国民が何を望んでいるのか、そしてどう訴えかければいいのかを見誤った。そして未だに自民に対抗できる政策の軸を見出せず、冷戦下の保革の主張に捉われ、あまつさえそどちらとも振り切れない中途半端な状態になっている。
 本当の現代的な政党政治を日本に根付かせるには、与党に対抗でき、状況に応じて政権交代も可能な野党が必要である。だが、政権交代を目的とした野党ではそれは無理である。何故なら、それでは単なる反与党的な政策に終始し、今回のように選挙戦で受身になることは免れないからだ。
 民主党は今回の敗北について冷静に分析するべきである。そして、二大政党制を志向するのであれば、どういう政策の軸を自らが選ぶべきなのか、熟慮するべきだろう。そして、党内合意が得られないのであれば、解党的な出直しをして血の入れ替えをすることも厭うべきではない。それができなければ、じきに自民党が長期単独政権の座に着くことは想像するに難くないだろう。
 また自民党は、今回の大勝で重い責任を負ったことを認識して日本の舵取りに邁進してもらいたい。参院執行部はまだまだ緊張感が無いように受け取れたが、総選挙を勝ち抜いた衆院側の面々は、大勝による安堵よりはこの結果によって負わされる責任の重大さで緊張しているようにも見えた。今回自民党の大勝を支えた票は、容易に反自民へ転じる可能性を持っているということを常に意識して、国の舵取りを行っていくことを願って止まない。


 何にせよ、この選挙の結果はこれから次第だ。今はあくまでスタートラインに立ったに過ぎないのだ。そんなこんなで選挙区も比例区も自民に投票した責任を感じつつ筆を置くことにする。