コードギアス世界観雑感2

 コードギアスの世界観のうち、ブリタニアに関してもう少し突っ込んでみる。
 3話でのルルーシュと教師の会話シーンにおいて、「エディンバラの屈辱」「新大陸への遷都」「北南戦争」という、歴史上の出来事と思しき3つの単語が登場する。これらのいずれについても、実際の史実に該当するものは存在しない。これらの出来事が、エリザベス一世崩御以降に、それほど間の空いていない期間のうちに起こったという仮定で、色々想像してみようと思う。


 まず、「エディンバラの屈辱」について。エディンバラスコットランド王国の首都である。テューダー朝の継続により、イングランドスコットランド同君連合が成立していない状況から推測すれば、これはイングランドスコットランドに政治的屈服を強いられたことが推測される。実際の史実において関連する出来事とすれば、清教徒革命だろうか。
 十七世紀中頃のイギリスは、イングランドスコットランドという国の枠組みにおける関係と、国教会・プロテスタントという宗教の枠組みにおける関係、この両者において二重の緊張状態にあった*1。史実ではこの緊張状態の結果、イングランド王党派(国教会)対イングランド議会派・スコットランド連合(プロテスタント)による清教徒革命に発展する。この結果イングランド王党派は敗北し、イングランドは一時共和制になるなど王権が衰退、またスコットランドイングランドに隷属的な関係を強いられるようになる。
 一方コードギアスの世界ではどうだったのだろうか。ブリタニアテューダー朝を賞賛する姿勢であることと、「エディンバラの屈辱」という言葉を見る限り、清教徒革命同様に、王党派が敗北を喫したことは同じであるように見える。しかし、コードギアスの世界では同君連合は成立していないことを考えると、「エディンバラの屈辱」は、清教徒革命とは逆に、イングランドスコットランドに従属する形で決着したのではないだろうか。


 次に「新大陸への遷都」について。「エディンバラの屈辱」の仮説を踏まえるならば、「新大陸への遷都」は、イングランド王党派がいわば都落ちする形で、再起を期して北米大陸へ逃れた出来事を指していることも考えられる。というより、開拓が進んでいないアメリカへの遷都となると、こういったやむを得ない事情でもない限り、ありえないだろう。
 実際の史実上、この頃の北米大陸は、主にイギリスとフランスの間で植民地の獲得競争が行われていた。そして十七世紀後半から十八世紀中盤、つまりアメリカ独立戦争前にかけて、主に英領アメリカと仏領カナダの間で、北米植民地戦争と総称される英仏間の抗争が頻発している。しかし、「新大陸への遷都」によって、英領アメリカがイングランド王党派の拠点となっていたとすると、単なる植民地獲得競争ではなく、イングランド王党派の新しい領土における基盤強化と、将来的なブリテン島への捲土重来を目指した、国家の命運をかけた戦争だったと言える。更に、北米大陸という枠組みで見た場合、英領アメリカと仏領カナダの戦争は、正に北米大陸における南北間の戦争でもある。恐らく、これが「北南戦争」だったのではないだろうか。
 実際の北米植民地戦争は、英領アメリカの勝利で終わったものの、本国の都合が優先され、仏領カナダは英領アメリカとは別個の植民地として運営されることになった。しかし、英領アメリカが、欧州情勢とは切り離され、イングランド王党派に主導されていたならば、こうした制約もなく、仏領カナダはイングランドアメリカの一部として併合していたという推測も立てられる。
 また、史実において北米植民地戦争の後に勃発するアメリカ独立戦争は、欧州と北米の二正面における戦争で戦費調達に窮したイギリス本国が、アメリカ植民地に重税を課したことが発端となっている。しかし、イングランド王党派が北米から駆逐北米での支配権を確立できたとすると、自ら欧州情勢に首を突っ込もうとしない限りは、安全保障上の脅威は当面無くなったことになる。また、アメリカはイングランド王党派にとって、植民地ではなく実質本土と化していることから、一方的な政策も取りづらい。このことから、アメリカ合衆国に繋がるアメリカ独立戦争そのものが、勃発しなかったのではという考え方もできる。


 とりあえずこんな感じだろうか。昨日書いたものも大分憶測混じりだったけれども、今回はそれに輪をかけて自信が無い。3つの架空の出来事と、ヘンリー九世の即位の間の時系列が違うだけで、全く違う流れになるだろうし。例えば、「エディンバラの屈辱」は、イングランドスコットランド間ではなく、イギリス・フランス間の戦争だったかもしれない。それに、3つの架空の出来事が、もっと長いスパンでの出来事だったとしても、やっぱり話は全然違ってくる。まあ、結局設定が明らかにならんことにはどうにもならないんだろうなー。

*1:厳密には、アイルランドカトリックもこの関係に入ってくるが、それに関しては置いておく