フランスの雇用政策「初回雇用契約」(CPE)を巡る混乱を例に引きながら、日本国民の政府に対する従順さを批判する論調を一部で見かける。
 だが、明治以降の歴史を紐解けば、日本では政府の政策に異を唱える運動は数多く行われてきた。ポーツマス条約を不満とする日比谷焼き討ち事件*1軍閥批判に端を発する第一次憲政擁護運動*2(大正政変)、戦後では安保闘争*3(特に60年安保)。特に前の二者は、帝国憲法時代の出来事でありながら、議会や内務大臣官邸、警察、御用マスコミを数万人規模の民衆が襲撃するという過激なものであった。そして、これらの民衆運動ではいずれも、時の内閣が退陣に追い込まれている。
 だが、これらの民衆運動や、今回のフランスのCPEに絡む混乱が、純粋に民衆の意思で行われたとは言い難い。何故ならば、これらのいずれもが、時の政権・与党の攻撃材料として、野党とその支持団体、批判派マスコミに利用されている側面があるからである。


 まずは日比谷焼き討ち事件。これは日露戦争講和条約であるポーツマス条約で、日本がロシアから賠償金を得られないことに民衆不満が爆発したものであった。だが、日露戦争は日本の薄氷の勝利とも言えるものであり、戦局も当時の日本の国力も限界に至っていた。政府が戦局の窮状をロシアに悟られないよう、こうした厳しい状況を国民に伏せていたことも原因ではある。しかしこの事件の一番の原因は、日清戦争で多額の賠償金を得たことで「戦争は勝てば儲かる」というとんでもない誤認識が国民の間に罷り通っており、マスコミや当時勢力を広げつつあった市民政治団体がその認識を煽り立てたことであろう。


 次に大正政変。これは、維新の元勲と政党政治家の間で行われた、紛れも無い権力闘争である。これは時の首相である桂太郎が、元勲山縣有朋の意を受け、陸軍の増強を図ったことに対して、立憲政友会立憲国民党政党政治勢力が、猛烈な反藩閥のタッグを組み、政権攻撃を加速させた。桂内閣はこれに対して議会の停会や詔勅による内閣不信任案の撤回工作など、強権的な手法で対抗。これに怒り狂った民衆が政府関係機関を次々襲撃し、結果桂内閣は総辞職に追い込まれた。
 ここまで見れば、民主化運動として賞賛する人もいるかもしれないが、実はこの事件には続きがある。政友会はこの後組閣された山本権兵衛内閣に入閣する形で利益を得たのである。確かに結果だけ見れば日本の民主化運動の金字塔と言えるが、結局はこれも政治家の党利党略に踊らされた結果というだけなのだ。


 ここで同じように政治家の党利党略が発端となった政府攻撃で、結果が最悪になったものを挙げておく。統帥権干犯問題*4だ。これは、ロンドン海軍軍縮会議にて、海軍軍令部の要求した補助艦艇*5保有制限を対米比7割にわずか0.025少ない6.975で合意したことが発端となる。当時の野党である政友会の犬飼や鳩山一郎らは、軍の編成は帝国憲法で規定された天皇大権たる統帥権に属すもので、統帥権を輔弼する軍令部の反対意見を無視したことは統帥権の干犯であると猛烈に批判した。政友会は軍令部や右派民衆を抱き込んだ一大反政府キャンペーンを張り、時の浜口首相は右翼に銃撃され重傷を負い、浜口内閣は総辞職に追い込まれた。
 政党により統帥権という錦の御旗を与えられた軍部がこの後暴走して政党政治を弱体化させ、後に首相となって軍縮を試みた犬飼が五・一五事件青年将校に殺害され、また鳩山は戦後軍部の台頭に協力したとして公職追放に遭ったのは、歴史の皮肉と言うより必然と言えるかもしれない。


 最後に安保闘争だが、これも新左翼が主導した反米親共運動と言える。60年安保の時こそ、第二次大戦の記憶から来る厭戦感や、一時的な隆盛を誇っていた新左翼の影響もあって、この運動は大いに盛り上がった。しかし、主体となった新左翼の団体が、後の70年安保では共産主義革命の実現と言う本性を掲げたことで、安保闘争は盛り上がることはなかった。
 そもそも、戦後日本において、日米安保が如何に重要な役割を果たしたかは言うまでも無い。冷戦下の状況で、ソ連・中国の二大共産国家と、朝鮮半島という紛争地域を近隣に置く日本にとって、資本主義陣営にも共産主義陣営にも組せずに国の安定した存続を図ることはまず無理なことであった。日米安保によって日本は国防費を低く抑えて国力の充実に振り向けることができたのであり、これ抜きに日本が経済大国になることは到底無理なことだったであろう。


 長くなったが、民衆運動と言うものは必ず裏に何らかの思惑を抱いた者がおり、そのことを考えずに単に政権に不満を持っているからといって賛同するのは、極めて危険な行為と言える。
 フランスのCPEに関する混乱も、デモを主導しているのは野党である社会党であり、それに協力的な労働組合である。そもそも、CPE自体が昨年フランスで起こった暴動の原因となった移民の高い失業率を解決するために、雇用の流動性を確保することを目的としたものである。フランスは非常に労働者の権利が擁護されており、なかなか解雇することができない。このため、企業は新規採用に消極的になり、結果失業率が慢性的に高止まりしている現状にある。CPEは、若年労働者の解雇規制を緩和することで、新規採用を積極的に行わせることが目的にあり、その方向性自体は間違っていないと私は見ている。むしろ問題なのは、デモの参加者に大学生が多いことから分かるように、これまでの労働条件下では比較的雇用されやすかった中流以上の若者の労働環境が、移民の労働環境向上と引き換えに犠牲となることを恐れている側面があることではなかろうか。


 本当に自らの意思で、政策を訴えるためにデモに参加することは、民主主義国家の国民として当然のことだろう。だが、単に批判することだけを目的として参加することは、政権と対立する勢力に無批判に組するだけの行為に過ぎない、極めて危険な行為だと私は思う。